トップ >活動 >トルコ共和国・フィンランド共和国との海外都市・文化交流レポート 2008年9月2日〜10日

海外都市・文化交流に行ってきました

資料写真 文化交流のためトルコ・フィンランドに行ってきました。区民の皆様のお役に立てるようにレポートを作成しました。
また今回のトルコ、フィンランドの写真を 区民のみなさんに資料などとしてご利用いただけるよう、 アルバムにまとめてもおります。ご覧になりたい方はぜひご連絡ください。
» トルコ、フィンランド、日本の統計比較 (PDF)

  • トルコ・イスタンブール

  • フィンランド・ヘルシンキ

イスタンブール - 街並み編 -

海外都市文化交流でトルコのイスタンブールにあるウスキュダル区、ウスキュダル区は渋谷区が友好都市提携を結んでいます。

今回、私はイスタンブールはもちろん、トルコは初めてでした。
行ってみての感想。
「こんな街と友好都市提携を結んでいたなんて!」 という驚きとちょっぴり誇らしい気分です。

このページで一人でも多くの方にイスタンブール、ウスキュダル区を見ていただけたら、と思います。

そして美しいだけでなく、数々のすばらしいことをやっていたウスキュダル区。渋谷区の区政に参考になることも多くやっておりました。

まずはイスタンブール、ウスキュダル区がどんなところかご紹介いたします。


photo
ウスキュダル区はボスフォラス海峡(Bosphorus)に面したイスタンブールではアジア側に位置します。
写真はボスフォラス海峡。向こうはヨーロッパ側の景色です。
photo


こちらの写真はヨーロッパ側からみたアジア側です。
私のイスタンブールの印象は坂がとても多かったこと。そして景色の美しさ。
ボスフォラス海峡の一番幅のせまいところで700メートル。すぐ対岸の美しい景色がどこからでも見られるのです。

わたしがこれまで訪れたところでそのような特徴のある海辺の町は初めてでした。
ヴェニス、南イタリア、サンフランシスコ、ケープコードと美しい海景色のある場所はたくさんありますが、対岸の景色が一望できる町は他に類を見ません。


photo
そしてもうひとつの特徴はこんなに建物が水辺ぎりぎりまで建っていること。
きっと穏やかなボスフォラス海峡とカラッと晴れた気候がこのパノラマを助けているのでしょう。

photo
本当に水辺ぎりぎりに公園があります。


photo
同じ公園で魚が釣れたおじいさんのお手伝いをしている子どもたち。公園の遊具は健康作りに適しているようでもあり、大人も使っていました。

所変わって…。


photo
photo
旗の先がウスキュダル区役所です。



区役所の入り口を日本の国旗とトルコの国旗で出迎えてくださいました。(詳細はまたあとで)


区役所の前はこんな感じです。
photo


そしてウスキュダル区の街並みです。

訪れたCOSKUN小中学校はこんな坂道を登ったところにありました。
photo


こちらは街の様子です。
photo


photo
トルコ版のキオスクでしょうか?


photo
野菜や果物が豊富でした。


街並み偏はこんなところでしょうか。街の中の建物も目を見張るものがありました。

イスタンブール - 「渋谷通り」編 -

「渋谷通り」はイスタンブール、ウスキュダル区の中でもモードな地域として注目されつつある一画にありました。

photo
正面の茶色の建物はモードなお店がたくさん入っているというショッピングセンター。(渋谷でいうと109ですね。)
そしてその手前は洒落たレストランが連なります。

photo
photo
近くにはモスクもあります。
そして「渋谷通り」にはたくさんものトルコと日本の比較写真がわかりやすく展示されているのが特徴です。
このように写真が展示されている通りは、イスタンブールのどこに行っても「渋谷通り」以外見られませんでした。

photo
こちらはウスキュダルと渋谷の街の比較写真です。

他にも「トルコの民族衣装」と「日本の着物」写真や「トルコの建物」と「日本の建物」など、どれも写真も美しく、興味深いものばかり。そして桜の木も植えられていました。

以前、ヨーロッパのある街で日本の友好都市を結んでいると思われる「○○通り」を目にしたことがありました。
ご存知の通り、欧米の住所は「通り」からきています。
ですので日本と違って新しく「○○通り」を作るのはとっても難しいのです。
その「○○通り」は「道」とは言い難い、路地の奥のあまり人が足を踏み入れないようなところにひっそりとあったのを覚えています。

この「渋谷通り」を見たとき、そのヨーロッパの「○○通り」を思い出し、この立派な「渋谷通り」からウスキュダル区の渋谷区への思いが伝わり嬉しくなりました。

イスタンブール - 「渋谷区の起震車は大活躍!」編 -

2006年9月に渋谷区所有の起震車がイスタンブールのウスキュダル区に贈呈されました。
横浜港からイスタンブールに輸送されました。

そして渋谷区からはるばるやってきた起震車はイスタンブールで大活躍でした。

この日、起震車はCOSKUN小学校にやってきました。


photo
上から見た起震車です。あれ、なんだか渋谷区で見るのと違う感じ…。


photo
ちゃんと「渋谷区」が入っていました。


photo
すっかりお化粧直しされて、内装はトルコ風に変わっていました。


photo
机の下で必死な先生と児童。


photo
子どもたちも興味津々!


起震車はこれまで国立校68校のうち60校で体験されたそうです。

渋谷区の起震車は消防署の管轄です。
ウスキュダル区のように、行政で動かせると、さらに色んなところで体験してもらえるのかもしれません。


トルコも地震については多くの研究をしています。天文台・地震センターに行き、専門家からのお話も伺いました。

渋谷区からウスキュダル区に贈呈された「起震車」でした。

.イスタンブール - イスラム教を垣間見た「社会発展センター」編 -

ウスキュダル区の一施設、TOGEM -社会発展センターに行きました。


photo
TOGEMは「社会的な問題を解決するところ」で一般トルコ人から寄付されたものをまた一般トルコ人に寄付をする”コーディネート”をしているところでした。

ここでイスラム教を少し垣間見ることになりました。

館内には寄付によって集まったたくさんの家具や洋服、生活雑貨、米などの食糧、本、電化製品などがありました。

その場でハンドメイドされているステキなテーブルクロスやカーテンなどもありました。

それら寄付されたものは70%が新品、30%が中古だそうです。

これらの品々は登録し、区の審査を受けた12,300家族のところに寄付されたり、バスの移動幼稚園の園児たちに文房具が寄付されます。


photo
こちらはソファーをリフォームしている職人さん。


photo
古着のお洋服にアイロンをかけて新品同様にしているアイロン職人さん。

古着は洗濯  →  アイロン  →  きれいにたたむ  →  バーコード
とう経過を経て、新品のように生まれ変わります。


photo
まるでお洋服屋さんの店内ですが、TOGEMの一室です。
上でアイロンをかけられて生まれ変わった古着のお洋服は、こうして並んでいるとまるで新品のお洋服と見間違えるほどきれいに仕上がっています。


photo
こちらはリフォームされた愛らしい棚です。


photo
こちらはテーブルクロスなどの雑貨です。


photo
クッションなどの小物です。説明をしてくださったのはネリーさん。
館内にはネリーさん筆頭にたくさんの女性が働いていました。


これらの品々はバーコードによって全て管理されています。
photo
なんとこのバーコードは、たとえばこのシャツが誰から寄付され、そしてどこに寄付されるか、までもの情報がわかるそうです。


photo
バーコードがついたら巨大な倉庫にいきます。

つい最近は10万冊の本が刑務所の図書館に寄付されたそうです。


なぜトルコではこんなにたくさんの品々(それも新品のものが多数)が寄付されるのかというと、イスラム教の5行のひとつに年収の2.5%を寄付するという義務があるからだそうです。

この義務というのはイスラム教の五行の一つの、「ザカート」と呼ばれているものだと思うのですが、

『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、「ザカート」は困窮者を助けるための義務的な喜捨。制度喜捨あるいは救貧税とも訳される。 ザカートの本来の意味は「浄め」。
だそうです。

「ザカート」の寄付の使途は貧しい人たちへの寄付だそうです。

後日詳しくご紹介する私たちが訪れたウスキュダルの学校もこのような寄付で建てられていました。

ヨーロッパでもアジアでも南米でも世界どこに行っても、その国の文化や生活は宗教の影響が大なり小なりあります。
今回のトルコもイスラム教が様々なところでキーになっていました。

イスタンブール - ヴァイオリン編 -

さて、今回は「海外都市文化交流」が目的でした。
そこで、せっかくですので日本からヴァイオリンを持って行き、演奏させていただきました。


当初はウスキュダルだけかな、と思っていましたが結局、フィンランドでも弾く機会があり、全部で3箇所、4回弾く機会がありました。

写真はイスタンブールのウスキュダルでの答礼宴。


photo
曲はエルガー作曲の「愛の挨拶」、トルコ民謡の「ウスキュダル」、そして渋谷区在住の故高野辰之氏の作詞で渋谷川がモデルの「春の小川」を弾かせていただきました。
「ウスキュダル」はエキゾチックで哀愁のある曲で日本では江利チエミさんが歌っていた曲と言えばご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか?

答礼宴では最初は緊張しましたが、トルコ民謡の「ウスキュダル」を弾きだすとトルコ側からどよめきの声が…。
その後は一緒に歌う声や手拍子が。

結局アンコールにも「ウスキュダル」を弾いて、みなさん大いに盛り上がってくださり、嬉しいコメントをたくさんいただきました。

実はこの「ウスキュダル」は、事前研修会でレクチャーをしてくださった帰国子女の斉藤さんに相談をして決めました。
トルコで幼少から生活してた斉藤さん。
「トルコと日本の架け橋になりたい」ととても丁寧にわかりやすく、そしてフレッシュな事前レクチャーを私たちにしてくださり、今回のトルコ行きを盛り上げてくれました。
そんな彼女のアドヴァイスの「ウスキュダル」はトルコ側のみなさんに大変喜んでいただきました。
斉藤さん、どうもありがとうございました。


そしてあとはフィンランドのヴィヒティ市の学校と市役所で演奏しました。
photo
写真は学校での演奏です。

ヴィヒティ市の市長さんからもお褒めの言葉をいただきました。


演奏する機会をくださった関係者のみなさん、ありがとうございました。

.イスタンブール - トルコの学校編 -

イスタンブールのCOSKUN(ジェシクンと読みます)小中学校を訪れました。
photo


こちらが校舎です。
photo


え、学校?どれが校舎?とお思いではないですか?

一見住宅のようですが、各学年、建物ごとに別れています。
写真の一番下は9月11日「海外文化都市交流 -2」のブログに書きました起震車です。


こちらは2年生の教室が入っている建物です。
photo


こちらは児童が描いた絵です。
色使いがカラフルですね。
photo


COSKUN小中学校は私立の学校です。
2週間に一度、そして毎月一回試験があるそうです。
試験は高校に入学する試験のために、足りないところを補うために実施されるのだそうです。

興味深かったのは通常学級とはべつにIQが高い児童、生徒のための教育があるそうです。
これはオスマン帝国時代から続く英才教育だそうです。
オスマン帝国時代も特殊能力を伸ばし、軍で活躍するため、政治の世界で活躍するため等の英才教育があったそうです。

英才教育の児童、生徒は90名。
大学と契約をしており、契約をしている大学に入学し、トルコの教育、文化を引き継ぐのだそうです。


さて、こちらのジェシクン小中学校は1992年にスタートしました。
そして1996年にある人が今ある校舎をまとめて寄付してくださったことから移転したそうです。

前回の「社会発展センター - 海外文化都市交流 -5」で「ザカート」という寄付について書きましたが、今回は「サダカ」という寄付です。

『ウィキペディア(Wikipedia)』によるとサダカを自由喜捨、ザカートを制度喜捨として区別しており、
こちらは義務ではないようです。
例えば、商業などで成功した人物が、慈善団体に自由意志でもって喜捨をするのがサダカである。
また、さらに富裕な人物は地域共同体に対して学校などの建物をまるごと寄付することも多い。
サダカで寄付された学校などには寄進者の名前が刻まれることはない。
それは、サダカが直接富裕者から寄付されるのではなく、観念的には神(アッラー)に寄進され、それを皆が使える状態にしているゆえである。
だそうです。

最初は裕福な人がこれだけの住宅を購入して寄付?
と驚きましたが、イスラム教について知っていくと色々紐解かれていきます。

さて、もうひとつ興味深かったこと。

photo

一体この男の子は誰でしょう?
トルコ全国学力テストで1番をとったジェシクン小中学校の児童だそうです。


このように学校の入口に壁面いっぱいに功績が称えられています。
photo

後に訪れたフィンランドでは学力テストの結果は学校別のランキングも作成されません。
トルコとフィンランドは対照的な学力テストのあり方でした。

イスタンブール - ウスキュダル区役所編 

この先がウスキュダル区役所です。
photo

近くまで行くと音楽が聞こえてきます。
なんと「上を向いて歩こう」でした。
photo


なんと楽団による日本の曲の演奏、そしてそのすぐ横には
メフメット  チャクル区長筆頭に議員のみなさん、区役所の
みなさんが出迎えてくださっていました。
photo


そして入口は日本とトルコの旗で飾られています。
photo


中はこんな感じです。
photo


まずは議場に行き、メフメット チャクル区長と桑原区長の挨拶がありました。
photo


議場へ行く廊下にも職員のみなさんが出てきてくださり、トルコと日本の旗を手にニコニコ手を振って下さいました。

メフメット  チャクル区長の「私たちはまるで親戚を待っているような気持ちで今日の日を迎えました」
という挨拶から始まりました。
トルコでは親戚も含む家族はとても結束が固く掛買いのない存在だと聞いています。
そんなトルコで親戚という言葉を使ってくださるのは、チャクル区長の渋谷区への思い入れを垣間見た気がしました。

photo
区役所の前もトルコ風でした。

イスタンブール - 「情報の家」編 -

情報の家に着くと子どもたちの笑顔に迎えられました。
みんな日本語で「コンニチハ」と挨拶してくれます。
どうやら私たちが来るので一生懸命覚えてくれたようで、日本語の挨拶リストを手に、「アリガトウゴザイマス」と
話しかけてくる子どもたちもいました。
photo


さて、ここ「情報の家」はトルコ版「学童館」と言ったところでしょうか。
学校終了後、子どもたちがここに来て、宿題をしたり、図書館で読書をしたり、チェスをしたり、パソコンでゲームをしたり、みんなで遊ぶ場所です。
photo


現在18,000人の7歳から15歳の子どもたちが12施設を利用しています。
パソコンは400台あります。
photo


現在情報の家は
日本と同じようにトルコにもインターネットカフェがあり、子どもたちがインターネットカフェに行ってよからぬサイトを見たりしないように、子どもたちが家族から離れてワルさをしないように、と"情報の家”を作りました。

家族にも余暇はどのように過ごしたらよいか、指導があるのだそうです。

パソコンに入っているソフトはちゃんとチェックされているもののみ。
それもパソコンは図書館で1時間本を読んだ子どもがはじめて使ってよいというシステム。
やはりパソコンは人気のようで、パソコンルームの子どもたちはゲームに夢中でした。


私たちが「情報の家」を去るときは子どもたちみんながバスを追いかけながら手をふってくれました。
photo

photo
こちらはスタッフの方です。とっても感じの良い方でした。

フィンランド基礎統計情報

人口520万人、首都ヘルシンキの人口は55万人
選挙を10月に控えて環境、交通の政策でヒートアップの兆し
地方議員 議員は名誉職で給与はない、皆メインの仕事をもっている
一般フィンランド人、サラリーマン1ヶ月2,600ユーロ
(日本円にして399,100円 1ユーロ153.53円 平成20年9月8日〜12日)
給与のサラリーマンの所得税は約27%、107,757円。
消費税(付加価値税)は22%
税金は教育費、福祉費として二分の一以上費やされる
税金透明度調査によると上位は北欧5カ国

国家教育委員会 (National Board of Education) を訪れて

訪れた国家教育委員会は以前「工場(factory)」であった建物を利用した仮設施設でした。
photo


国家教育委員会と教育省について

フィンランドの教育制度などについてはレオパフキン氏に説明していただいた。
氏は学校の先生でもあり、大学で学校について研究もしている。
photo

  • フィンランドの教育施策の根底にある考え方は「すべての国民のレベルをあげる」こととすべての子どもに同じ教育を与えること。
  • 子どもたちは7歳で日本の小学校にあたる基礎 (総合)学校に入学し、義務教育は9年間。基礎学校入学前の就学前教育のプレスクールも任意で受けることができる。そこは勉強を教えることよりも、「なぜ?」「なに?」という疑問を抱かせ、勉強に対しての興味を持たせる場所でもある。
  • 基礎学校を卒業した生徒は全てが進学資格をもつ。卒業後は高等学校か職業教育学校に進学する。その後は、大学や技術専門学校に進む。
  • 基礎学校をはじめとする全ての学校は税金で賄われる。
  • フィンランドが現在のような教育システムになったのは1995年ごろからである。教育の特徴としては義務教育後にひとつの進路を選んでも、後に別の学校に入りなおすなど進路を変更でき、9年間の義務教育のあと、もう一度学力や進路について1年履修することもできるといった選択の自由度の高さが挙げられる。
  • 年齢、移住地、経済状況、性別、母国語などにかかわらず、全ての国民に教育を受ける平等な機会を提供すること。そのため就学前教育、基礎教育、後期中等教育は無料。学費、福祉サービス、給食はこれらの教育機関において無料提供され、必要な教材や教科書も、就学前から基礎教育までは無料である。また基礎教育期間の通学に関しても自治体が費用を負担する。
  • これら教育にかける予算はフィンランドではロビンフッドの方法、つまりお金のあるところから無いところに預けて教育にかけるという方法をとっている。
  • 義務教育費については国が基礎自治体ごとに必要経費を算定し、そのうちの57%を国が、43%を地方自治体が負担することになっている。フィンランドでは自治体ごとに必要経費は異なるという認識、例えば、ラップランド地方のような、人口の少ない地域にも学校や通学路をつくる。スペシャルニーズ教育、スウェーデン語教育の必要な自治体もあることから、各自治体の実情に応じて総額を見積る、「ロビンフッドの方法」をとることもある。集めたお金は上にあげて、教育予算が作られる。フィンランドにおいて、国の教育への歳出総額はGDP (国内総生産)の6.1% (2005年)
  • フィンランドには国の教育行政機関として教育省 (Ministry of Education)と国家教育委員 (National Board of Education)が存在する。国家教育委員会は教育省の下部組織ではあるが、独立性を有する機関である。
  • フィンランドでは、内閣が教育における戦略をつくり、それを教育省がプランニング、計画をし、5ヵ年計画を作る。国家教育委員会は、教育内容の全体的な枠組みである、ナショナル・コア・カリキュラムの策定、教育評価、開発的任務、情報サービスを中心に教育に専門的な業務を非政治的に担当している。
  • 教育省と国家教育委員会は3年に一度、共同で国としての教育成果を検証する機会を持つ決まりとなっている。
  • フィンランドでは義務教育の提供責任は地方自治体にある。しかし、約400もの地方自治体は各学校に任せており、各学校は教育雇用やカリキュラム構成などにおいて裁量を発揮する。教育評価には全国6%〜7%の割合で実施されるPISA (生徒の学習到達度調査)が利用される。これはあくまでサンプル調査として、児童生徒の学力状況を把握するための学力テストであり、教育の均等化達成を目的に利用される。学校別ランキングが出ると学校の差がでてしまい、平等でなくなるため、学校別のランキングは作成されない。生徒児童は近隣の学校に行くというのが基本で、越境の場合、交通費は提供されない。
  • フィンランドの歴史における教育を見てみると、700年間のスウェーデン時代、フィンランド大公国時代を経て、ロシアから独立しフィンランド共和国が誕生したのが1917年。この時からフィンランドの義務教育は始まった。1921年から義務教育法が正式にスタートした。それ以前は45%しか義務教育は行われていなかったにもかかわらず、農業国フィンランドは識字率が100%だった。プロテスタントが主流のフィンランドにおいては15歳になって聖書が読めなければ教会で結婚ができないという理由からだった。
  • 現在フィンランドでは公用語はフィンランド語92%、スウェーデン語6%である。すべての市民は自分の母国語で教育を受ける権利を有する。従って、スウェーデン語の総合学校、大学もある。
  • フィンランドでは25歳から64歳の女性の84%が仕事をしている。実際、国家教育委員会、総合学校においても、多くの女性が働いていた。

学校統計 (2004)

学校の種類学校数児童生徒学生数
基礎教育学校3,729593,148
普通高校441120,531
職業訓練高等学校290230,823
大学20173,974
技術専門大学31131,919

*職業訓練高等学校が多くなった。これは団塊の世代が占めていた専門職が増えることにつながり、喜ばしいとのこと。


フィンランドの教育の特徴

  • あらゆる人に平等な教育
  • 移住地にかかわらない
  • 性別で分けない
  • 授業料は無料 (学校がお金を集めることは法律で禁じられている)
  • レベルによって分けない
  • 末端が行う
  • 学校と教育委員会の双方向の協力の下 (教育に関しては党を超えて同じ意見を持つ)
  • 生徒に問題があったら一人ひとりにサポートをつける
  • 全国テストのランキングはしない

学校自治

  • 学校が先生を選ぶ
  • 校長先生も先生であり、クラスで教える
  • 校長先生は先生でもあり、学校の経営者でもある
  • 学校の始業時間、時間割も各学校で決める
  • 1993年に学校監査を廃止
  • 学校の先生が出版社と協力して教科書を作る
  • 教育方法は先生が選べる
  • 先生の講習は一年に3回参加。国も無料で提供

クオッパヌンミ総合学校 (Kuoppanummen Koulukeskus)

実際の教育機関としてヴィヒティ市のクオッパヌンミ総合学校を訪れた。
photo   photo


開設5年目の学校
生徒数600人、小中、保育、幼稚園
特別支援学級  17人
教員  48人、アシスタント  51人
心理士、進路指導、特別支援教育の資格のアシスタント
(全生徒数約600名のうち、特別支援教育の必要な生徒は約150名。そのために約50名ものアシスタントがいる)

多くの児童生徒が自転車通学しており、駐輪場にはたくさんの自転車が。
photo


校舎に入るとそこはすぐ吹き抜けの明るいカフェテリアで、児童の絵が飾られていた。
photo   photo


ここでは議員でもあるピルヨ (Pirjo)先生に校内を案内していただいた。フィンランドでは地方議員は名誉職で給与はなく、地域からの推薦を受けて立候補をするため、議員は仕事をしてるのが普通で現場の声を反映させるそうです。
ピルヨ先生が担任する7年生のクラスから見せていただく。教室へは靴を脱いで入り、日本の机とイスよりも高さの高いものを使用していた。そのため姿勢が良いように見受けられた。
photo


教科書は無料ではあるものの、みんなで使いまわすことにより上手に再利用しているとのこと。
クラスみんなが家族のように仲良くなるためにも、年度によるクラス替えはない。


保護者とのつながりはHPで連絡が主とのこと。各々がパスワードでサイトに入り、連絡事項や予定をチェックできる仕組みだ。
photo   photo


1,2年生に限り5時まで放課後クラブがある。体育館はあったが、運動場などの体育施設はヴィヒティ市の施設を使う。他の学年やクラスとのつながりは一ヶ月に一度、全小中学生とプレスクールの6歳児で観劇等の行事がある。そのほか、1年生から5年生のイベントでは6、7年生が中心になって企画から作り上げていき、縦のつながりを築く。


クラスを見学した後は、コンピューター室、家庭科室や図工室、特殊ニーズ教室などを訪れる。
photo   photo


家庭科室ではお料理中。家庭で使用しているのと同じようなガス台や調理器具を使い、ナプキンのたたみ方などのテーブルセッティングも習っていた。
photo   photo
photo


編み物のクラスもあり、刺繍や手芸の盛んな、また手を使う教育にも着眼しているフィンランドならではと感じられた。
photo


特別支援教育も含めて、教育は各個人に合ったものが提供される。児童生徒の心のケアは予防に主眼が置かれ、心のケアに関してはヴィヒティ市では福祉局ではなく教育局の所管。特別支援教育が必要な児童、生徒の早期発見に力が入れられており、後の差別の回避や、将来的に多くの教育費用と時間の節約につながる。


教員の勤務時間は一週間24時間にプラスして会議と保護者との面談が組み込まれている。職員室とは別に、教員のサロンがあり、みんなそこでくつろぎ、意見交換をしていたのが印象的だった。
photo


ピルヨ先生の児童、生徒と特別支援学級で日本の曲をヴァイオリンで弾きました。写真奥が説明してくださったピルヨ先生。特別支援学級ではお返しに児童みんなで歌を歌ってくれました。ありがとうございました!
photo


説明を聞いてお世話になった総合学校を後にする頃には、児童、生徒も下校していました。写真は自転車の無い自転車置き場。シンプルですね。9月上旬でしたが、もう紅葉していました。
photo

フィンランド日本協会との懇談

日本に長年住んでいらしたフィンランド日本協会会長、山下ピルックさん、副会長のマルケッタ フォッセルさん、フィンランド留学をきっかけに18年在住し、現在お二人の小学生のお子さんを育てている会員、下村有子さん、シベリウス音楽院に留学中の学生さんから教育に関するお話を伺いました。

フィンランド日本協会、会長の山下ピルックさんは日本人のご主人の関係でお子さんが小学校、中学校時代に目黒区の公立学校に通った経験があり、「日本の小学校はとても暖かく、先生方は面倒見がよく、できることなら自分も小学生になって、通いたかったです」と流暢な日本語でおっしゃっていたのが印象的です。


  • フィンランドの教育は教員一人ひとりに多くの責任を任せる。校長先生も教員もクラスを運営するため、教育成果は個々の教員による部分が大きい。大学の教育学部は博士号までとらなければならないにもかかわらず一番人気である。
  • 基礎学校では国語と算数に特に力を入れている。成績表は国語は・文法・読解・美しい字を書くか、など細かく評価する。書くトレーニングに力を入れ、高校卒業試験は1日6時間かけて筆記試験を行う。
  • 音楽の授業にはプロの演奏家がくることもあり、子どもたちは小さい頃から学校で生の音楽を聴く機会がある。シベリウス音楽院では留学生でも学生の交通費は二分の一で、コンサートは無料となっている。
  • フィンランドの教育は底上げシステムをとっているため、小学生でも留年する。勉強についてこられず、理解していないのに、無理に上の学年にあげてもその児童がかわいそうという考え方だ。義務教育が終了する時点で最低のレベルは全員が身につける。
  • 特別支援教育については、資格を持っているヘルパーが巡回するシステムもある。へルパーがついたり、治療を受けるのは無料である。
  • 毎週土曜日は参観日と決まっている。PTAはあってないようなもの。先生が独自の奨学金を一人20ユーロでつくる。奨学金の内容は、例えば、「みんなを明るく楽しくしてくれました」「みんなと仲良くモメることなく過ごしました」など、勉強だけでなく、子どもたち一人ひとりの良いところ、個性を伸ばす目的の奨学金である。教員は日本と同じようなモンスターペアレンツなどの悩みもある。これらは時代と共に変化してきたものであり、今後の課題でもある。

写真はフィンランド日本協会の皆さんと
photo


フィンランドに暮らし、子どもを学校に通わせ、また実際に留学生としてフィンランドで教育を受けているフィンランド日本協会のみなさんとの懇談は一般フィンランド人の目、日本の教育との比較も交え、大変意義深かったです。

ヴィヒティ市 (Vihti)

首都ヘルシンキから北西へ50キロ。501年の歴史を持つ人口約27000人の都市。子どもが多い衛星都市。毎年2%の人口増加。
議員は43名。
日本国旗を掲げて市長、議長が迎えて下さり、ヴィヒティ市について懇談。
photo   photo
photo   photo


こちらでも日本の曲をヴァイオリンで演奏しました。

ヘルシンキ

ヘルシンキ中央駅周辺の施設などを訪れた。
photo   photo


  1. アテネウム美術館
    1887年に建てられたアテネウム美術館。歴史ある趣の建物はT.ホイヤーの設計。丁度「北斎、広重」展が開催中。12月まで開催されるとのこと。これだけの作品が日本国外に出たのは初めてというだけあって、多くの人が訪れていた。デザインの国、フィンランドだけあって、コーディネートされたフレームとのバランスには目をみはるものがあった。松濤美術館でも取り入れられたいアイディアである。
    photo
  2. Rikhardinkatu Library 図書館
    1881年に建てられた北欧最古の図書館。
    子どもコーナー、オーディオコーナー、新聞、雑誌コーナー、外国語コーナー、アートコーナー、閲覧室、会議室、レファレンスセクション等わかりやすくコーナーが分かれていた。
    photo   photo

    印象深かったのは館内にはアーティストの展示スペースが様々な形で何ヶ所もあった。期間でスペースを借り、値段をつけて売ることもできるそうだ。壁面にはイラスト、ガラスの棚にはアクセサリー、吹き抜けのらせん階段を利用して、ドレスやニットなどの洋服、パッチワークの展示は圧巻。ヘルシンキの図書館ではこのようにアーティスト支援をしている。子どもも興味津々に見ており、ノートに感想を書いている人たちもいた。
    photo   photo
    photo   photo
    photo   photo
    photo

    コンピュータールームは完全に独立しており、ドアもしっかりしたもので、図書館内にパソコンの音が気になることはない。図書館カードを持っている人のみパソコンを使用可能。使用時間は決まっており、名前を書いて登録をしていた。

    本の貸出し、返却はすべて利用者が各自でできる機械が設置されていいた。
    各フロアに司書が数人いて、利用者から相談を受けていた。
  3. ヘルシンキ大聖堂
    ルーテル派の総本山。フィンランドは95%がルーテル派。
    1852年に30年の月日をかけて完成。95%がクリスチャンというのがフィンランドの教育改革にも大きな影響を及ぼしていた。
    photo
  4. 子育て編
    フィンランドでは出産、子育ても充実している。
    • 地域の保健センターでは妊婦のときから健康診断とカウンセリングを受けることができ、記録をつけていく。子どもが生まれてからは新生児の診断はもちろん、引き続きカウンセリングや母親の健康診断がある。この検診制度は母親にとって大変安心できるという声を聞いた。
    • 出産時にはマタニティーパッケージがプレゼントされる。このパッケージはベビー服やおもちゃなど新生児が生まれて役立つものである。
    • フィンランドでは産休と育児休暇が263日で、国から補助金が支給される。育児休暇の158日は父親、母親のどちらがとってもよい。育児休暇は子どもが3歳になるまで延長が可能。この間は無給ではあるが、育児休暇を取った母親の社会復帰の受け入れは義務である。また子どもは17歳になるまで、児童手当を受けられる。一人目は毎月100ユーロ、二人目は110.5ユーロ、3人目は131ユーロといった具合だ。
    • そして公共の交通機関ではベビーカーを押している父親もしくは母親は運賃が無料である。街ではベビーカーを押して交通機関のバスやトラムを待っている人をたくさん見かけた。
  5. 英語
    フィンランドでは子どもも含めてほぼ100%の人が英語を話した。英語が堪能な理由は話す、聞く、書くことが重視されている。そしてテレビでは英語の放送が多いが、すべて字幕がないため、英語になれるのが早い。

フィンランドの感想

   実は何年か前の冬、フィンランドは一度訪れたことがありました。その頃はまだ議員でもなく、自分が議員になるなんて想像もしていませんでした。その時のフィンランドの印象は、雪に覆われたどこもかしこも真っ白な景色と、"日本人に似たフィンランド人" でした。フィンランド人はもの静かで、乗物の中では小さな声でお喋りし、シャイで控え目で、しかし何か聞くととても丁寧に説明をしてくれ、手先が器用でもありました。そして、今回の雪の無い、秋模様のヘルシンキを訪れて、初めて街の風景が見えました。秋が間近に迫ったフィンランドは、雪の代わりに緑と自然に溢れた、美しい国でした。
   今回、フィンランドに行く前に、フィンランドの教育関連の本を読むと「フィンランドの底上げの教育」ということがさかんに言われていました。
   そして、実際に行って感じたことは「底上げ」とは、ただ、教育レベルを勉強の苦手な児童、生徒に合わせるだけではなく、フィンランドのどこであろうと、どんな環境であろうと、全てが平等の条件の中で教育が行われ、なおかつ子どもたちの個々の感性を伸ばしていく教育ということでした。
   クオッパヌンミ総合学校のピルヨ先生が「子どもたちから色々な感性を引き出すことが先生の役目なのです」とおっしゃったのを聞いたとき、私は軽いショックを受けたと同時に、これこそが今のフィンランドの教育の根底にあるのだと思いました。フィンランド日本協会の方から聞いた、学校の先生が独自に作る児童への奨学金も、児童の個性や感性を導きだしています。
   国家教育委員会でいただいた資料の中の「1)」でもあるように、フィンランドの基礎教育には中学校を終えた生徒で、成績向上や将来の計画を明確にする機会を与えるために10年生が設けられています。これも生徒の感性、個性をつぶさないための人生の第一ターニングポイントをじっくり自分で考える期間でもあるように思います。
   同じく、国家教育委員会の "学校統計 2004" では職業訓練高等学校の生徒が多くなったという結果が出ています。これも生徒が本当に何をやりたいのか、何が向いているのか、という個人の特性をしっかりと生かした選択を行っている結果であるに違いありません。
   そしてフィンランドの学校の先生は時間割や教科書選び、教え方を各人がそれぞれのやり方で進めていきます。先生たちこそ、感性を常に養っている教育者でなければならないのでしょう。 豊かな自然に囲まれ、ノキアのようにテクノロジーも発達しているフィンランド、キーになっているものとは感性を育む環境と教育が根底ではないでしょうか。そんなことを感じた今回のフィンランドでした。

トップへ戻る